CAT-blueの部屋

京都在住の大学生の猫です。建築と機械学習を勉強中です。ロシア語とか数学にも興味があります。

最大最小、存在、確率

確率論に興味があるといいながら最近あまり確率論の勉強ができていなかった。卒論の進捗どうですか?と言われると死んでしまうけれども久々に確率論の本(確率論、熊谷隆、2003)の最初の方を読んでみた。後、問題を解いてみる大事さを思い出したので考える練習をしてみた(解けるとは言ってない)。コンパクトに測度論的確率論がまとめられており、しかしながら飛躍があるわけではないので集合論に多少の馴染みのある方なら読み進められると思う。ルベーグ積分、集合と位相を齧ってみて帰ってくるとお気持ちが以前よりわかるところが多かったので感想を書いてみる。

 

数学の世界、一般人(自分のような工学の人間ような普通の理系)が何となくで済ませるところに大事な概念が含まれてる所がある気がする。例えば最大・最小の存在。何かしらの値の集合を取ってくればその中に一番大きいものと小さいものが入ってるでしょうなんていうのは一般人の感覚で、そのイメージするであろう絵というのは強い条件がたくさん入っていたりする。そもそも集合と言って離散的なものとか有限のもの(飴玉で象徴されるような素朴な集合観)を想像するのは限定的なイメージで、連続的なものや無限の要素とか考えると最大最小の存在は全く自明ではなくなる。僕みたいな弱い理系の人間でも開区間上の関数の値に上限や下限が存在しても最大最小は存在しない例があるは想像できるはずだけど、一般的な話になると何となく当たり前に思えてしまうことはたくさんある気がする。ユークリッド空間上ではコンパクトな集合上の連続関数には最大最小がある、なんてのは微積分の教科書の最初の方に乗ってることだけど、実数の世界で、普通の関数を考えてるだけでも連続とかコンパクトとかいろいろ出てくるのに素朴に考えると当たり前のように思えてくるのはやはり感性の違いであろうか。

 

数学の本、こういう(一般人には)直感的に明らかなことをちゃんと考えると決して当たり前ではないことを考えるのに定義とか定理とか与えてたりするから、そこが読みにくさというか、数学と非数学とを隔てるものの一つなのかなという気がするので、その辺のお気持ちをちゃんと理解したいなというお気持ちになったのである。何でこんなこと考えたかっていうと、最小の~~があるよね、ていう論法が確率論(というかルベーグ積分論)の中によく出ることを思い出したから。適当な族を取ってきて、それを含む最小のσ加法族が存在する。この中にまず存在を問題にする感覚とか、最初のとは?みたいな感覚があったことを思い出したのである。案外こういう包みうるものの中で一番小さいものを取れますよ、というのは別の分野でも感がえる話だったりするので当たり前的なことかもしんないけど、個人的にはこの定理(というほどのものでもないかもしれない)を見て、いろいろ思い出す所があったので、こんな文章を書いたのだと思う。昔はたぶんよくわかってなかったので、アリさん程度には進歩が得られたのかなとか思った次第です。