CAT-blueの部屋

京都在住の大学生の猫です。建築と機械学習を勉強中です。ロシア語とか数学にも興味があります。

暇に駆り立てられた雑記

僕が物理とか数学とか好き立った理由と言語へのあるこだわりを有していたことは,無関係ではない。真理への憧れを持てるほどに世界の構造に信頼を寄せていない。あくまでミクロコスモスの表現への関心があった。つまりは人間の心理への関心というほうが適切だったのかもしれない。本当の関心の正体と表現手段へのアプローチを考える。はいキャリの人の思考とは異なる。芸術の人間というほどのもでないにしても表現を目標にしようとしている,そしてそれが心理構造への衝動に近いこと。表現されたがっていることとその手段の改善という方針を取るべきだ。虚無の対抗しないといけない。

こういう言葉をどれだけ日常遣いの言葉の中に埋め込めるかという勝負,多分。面接の時を思い出す。数学への関心を,論理の結晶としての鑑賞。というフレーズで表現できなかったこと。あの時のための言葉だったじゃないかと後悔してる。意味がある文章が書けたときは,書いた後にフックが残せた感覚がある。ラップなんかは音と意味のフックを無限に即興で連ねる遊びであり,つまりは和歌の文脈と変わらないと感じる。軽薄な言葉を用いなければならないという圧力に与する必要はなく,考えた分だけを形にすればよい。要素をそぎ落とそうとしすぎた。漂白しないと怒られるという存在しないルールへの恐怖があった。無限に皺を刻めばよいし,言葉の長短の問題ではない。それは日本語で通常行われるが他の言語であっても可能である。それ故に語学にあっては微妙なニュアンスをどのように切り分けるのかという観点も必要だろう。結局言語センスに依存するという点は否定できない。