CAT-blueの部屋

京都在住の大学生の猫です。建築と機械学習を勉強中です。ロシア語とか数学にも興味があります。

社会の中にある存在としての自分について考えたこと・或いは就活

なんだか大変な時期に社会に放り出されることになってしまったな。某ウイルス君のせいで世界的な景気が後退して採用が減少するのは間違いないだろうなっていう辛さよね。3月になって初めて就活セミナーなるものに行って実感してしまった。

 

基本的な就活の進め方の話題とGDの練習であった。就活の話題に関しては正直目当たらしいないようななかった。調べたら出てくる程度の内容で,講師も所詮20卒の学生だからこの程度かなっていう(こういう態度が良くないのだということは後に考える)。GDは,いい練習にはなったのかな。というか,自分の在り方に関しての考察を促す内容だった。やってて,少なくともあの中では能力的に劣るとは感じなかったけど,もっと人間的に基本的な所が欠落してる感じがあった。ずっと感じていてことだけどね。こんなに寂しい気分にならずに済んだのかもしれないとは思う,人間としてまともであれれば。仲良くしようという気持ちが足りないのかなって感じる。

 

強みがないわけではないと思う。思考力とか,議論のフレームワークを形成して考察を進めるという意味では得意な面もある。それは実感できた。後は他のソフトな能力をいかに補強するか。かつ説得力を持ってチームでの議論を進めるのか,という面での訓練が必須であろう。今日の練習は悪くはなかった,おそらく今後ずっと付きまとうであろう見知らぬ他者との協力の下での結論の獲得というムーブメントの練習として機能したはず。ここから強みと思う部分をもっと伸ばしたうえで,足りないと思う人間的な側面を補強してゆけば,ある程度の有益な人間として,とりあえず不要であるとは言われない人間になれると思う。要は誰かにとって必要だと思ってもらうことができたら生きていけるわけだし,つらい時間も耐え忍ぶことができるはずなのだから。100週回って小学校の道徳の内容のような命題に帰ってくるのを感じる。これまでできてなかったこと。軽視していたことだから。まだやり直せるし,ここから気持ちを入れ替えてやっていきたい。

 

一応今回経験し反省した内容を箇条書きで上げておこう。

・人の話を聞く。フレームの面でも人の関係性をきちんと考えておく。僕が頑張るよ,というポジティブな発言へと変化させる。これは大事かと思う。前向きで明るい言葉に書き直してゆこう。それは内面の安定へと直結するものだから。

・構造の抽出と具体化の流れを作ること。人が視界の時に論点を提示すること。あえてアンチテーゼを提出することでより高度な概念へと到達することを促そう。人の発言をいと認めよう。

・人の活動に流されすぎないこと。適度に悩みや痛みを共有するのは大切だが,同時に私の問題として,すなわち僕の価値観の中での位置づけを明確にして他の人の活動を参考にしよう。仲間であると同時に本質的に異なるたしゃであることを忘れないようにしよう。

 

友人を作ってゆくべきだよね。繊細さを通り越して横着な自分すらわいてきてしまう。責任を感じてしまうのだよね,人と仲良くするということ自体が。僕なんかといて楽しいのかなっていう不安を感じてしまう。それが良くないし,仮に存在した興味とか関心を抱いてくれてる相手への失礼にも当たる。人間たくさんいるのだからこんな自分でも仲良くできる人はいるはずなのだから。楽観ではなく,そうだろうなという感触。その確信をもって仲良くする,話しかける,心からの笑顔を仕向ける。基本的だけど普遍的な確信へと帰着させよう。きちんと個人の世界を守りながら社会とうまく交わって生きていこう。対象は社会である,その中で個人的な関係を作る。中途半端な集団よりも社会的承認の獲得及び個人的な愛情と信頼の獲得,それこそが生存,存在の根拠であり世界との紐帯として機能するのである。だからこそ僕は恋人を求めてしまう。これまで拒否してきたけど,僕の中に誰か愛する人,愛せる人,甘えられる人,甘える人がいて欲しいと思うのだ。失うことを素直に寂しいと思えるし,ずっといて欲しい,死に際して世界に祝福されていたい。あなたは存在を全うしたのだと。もはや争うことなく永遠の物質として安らかに過ごすことができるのだと。感謝され,亡くなっていきたい。それが存在をもはや宿命づけられ,宿命づけた私たち人間の生きる導なのだから。

 

パソコンに向かって文字を書き連ねているこの時間がとても心安らぐ感覚がある。キーボードを叩き,画面に文字が表示される。これも,この世界の片隅に放流されるこの文章も一つの創作になるはずなのだから。私が一つの方針として立てた,内面の外界への定着,物体を介した表現物を実現せしめることにつながるもの。今はもう桂,吉田にいた時代とは変わってしまっている。直面すべき現実も変わっているし,幸いまだ時間はあるから,ゆっくりと,でも確実に自分の人生について考えながら,おそらく最後の二年となるこの学生生活を大事にしてゆきたいと思ってのでした。要は,元気に生きていこうな。ていうことでした。